兵站について

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兵站について

 近代的な戦争を語る上において「兵站」という概念は多くの場合重要視される。兵站とは何が可能かを規定する術のことである。具体的には輸送、補給、警備、占領地行政などなど、軍隊の戦闘以外の分野を包括する概念である。兵站的な充足をもって軍隊の活動可能範囲が規定されるため、近代戦において兵站は重要視される概念である。

兵站の歴史

 ナポレオン時代以前の戦争でも兵站の概念は存在していたが重要視はされていなかった。なぜなら当時の軍隊は組織的に補給を行わず、現地での摘発や略奪に依存した前線での自活で戦闘を持続させていたからである。ナポレオン以降、戦争に動員される軍隊規模は大きくなり、現地での自活のみでは賄えなくなってきた。そのため兵站が整備された。

兵站能力不足の具体例

 兵站の不足による戦争は第二次世界大戦の日本が例として挙げられる。日中戦争開始以降、敗戦までに戦没した日本軍人、軍属が230万人である。そのうち約6割の140万人が餓死やマラリヤなどの病気によって死没したと考えられている(日本政府は年別や死因別の統計を取っていないための推計)。これらのほとんどは南太平洋の補給の途絶した孤島で起きた死と考えて問題ない。日本は武器弾薬のみならず、食料補給もままならない地まで戦線を拡大し、多くの餓死者まで発生させた。対して米軍は自らの兵站能力以内で戦略的な戦線を維持し、前線の兵士がアイスクリームを食べられるほど能力を持っていた。一説には米軍は1人の前線兵士に対して18人の後方の兵士が支えていたといわれ、毎日約7万種の物資を届け、2400万食を用意していたという。補給の途絶していた日本とは雲泥の差、月とスッポンといった具合に、アメリカは自らの持つ兵站能力を正しく把握し、その中で戦略的に戦争を進めていた。兵站能力が軍隊の活動可能な範囲を規定し、兵站の中でのみ軍隊が活動しうると捉え、実行して勝利した。このように戦争において兵站を重視することで、活動可能範囲を広げられるため、兵站は重視されている。

【参考文献】
Martin van Creveld,監訳石津朋之(2018)『新時代「戦争論」』原書房
吉田裕(2017)『日本軍兵士 ——アジア・太平洋戦争の現実』中央公論新社
藤原彰(2018)『餓死した英霊たち』筑摩書房

 

新時代「戦争論」

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